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−国語読解のストラトジー

国語科の本来的な目的は、論理的な思考力を養い、想像力を高めることです。国語科を正しく知ることは、思考に強度を与えること、生きていくための力を得ることと同義です。
主観的で独り善がりの読みから、書き手や登場人物、ひいては作問者に置き換わり考えられる高次元の読みへ。さながら植物の生長のように進むプロセスがもたらす、大きな主観の更新へと、果断に足を踏み入れてほしいと思います。

思い遣り、気配り、気遣い、配慮、相手の身になる…どれも他者の立場と自分のそれとを置き換えて考えられる共感能力、即ち、全て想像力の賜物です。他人の痛みが分かる、こんなことが可能になるのも感情移入を排した論理的な思考力と想像力があればこそです。

国語読解とは作問者が創る完結した世界観の中で、できるだけ整合性を保ち考える(=思い遣る)論理的思考ゲームです。取り上げた題材をより深く理解させようと作問者が仕組んだ一つひとつの導きに共感し、別様の主観を知る中で起こる「うねり」のような大きな自己更新の冒険へ。
「国語読解のストラトジー」では、「重ね読み」「類比/比例」「置換」「対照」などを核に、主観をゼロに制限時間の中で暫定解を形作る「ジグソーパズル方式」の読解法、また国語教育について発信していきます。

二子玉川教室 教室長 鈴木潤一

保護者講座−国語読解のストラトジー

保護者と共有する国語学習の方法論!
FELIX
では本科生(小3〜5集合授業受講者)対象に、FELIXのコンセプトを保護者と共有し学習環境に活かすため定期的に「保護者講座」を開催し、ご賛同いただいております。そこで去る9月26日、「国語教育」に関心のある保護者の方を対象に同様の趣旨にて新規に「国語クラブ生対象保護者講座」を試験的に開講しましたところご好評をいいだき、継続開催する方向で進めております。
国語はとかく「御しにくい」科目であるという認識を多くの保護者の方がお持ちになっています。巷に溢れるのは、「いつか慣れるだろう」式の読解法と、知識「量」に頼る国語学習ばかりです。このような現状は、国語科で本来的に涵養する力が何であるかを見失っているようにさえ映ります。しかし、国語教育にもしっかりと道を示す方法論はあるのです。このような視点を「保護者講座」を通して共有できたら幸いです。
10月31日以降の講座は「保護者講座−国語読解のストラトジー」と改称し、すべて予約制になりますので、参加ご希望の方は予め二子玉川教室(03-3700-4191)までご連絡ください。

実施日 時間
対象学年(保護者)
内容
9/26
(水)
 16:00〜17:00  ・「言葉」とは何か?
 ・国語科は思い遣りを育む など(→レジュメ
 全学年
10/31
(水)
 16:00〜17:00  ・語彙力の強化@
 ・国語科が問う力とは? など(→レジュメ
 全学年
11/25
(日)
 10:00〜11:00  ・語彙力の強化A
 ・読書の方法/主題を捉える など(→レジュメ
 全学年
12/19
(水)
 16:00〜17:00  ・語彙力の強化B
 ・読解の方法論 など(→レジュメ
 全学年
1/23
(水)
 16:00〜17:00  ・書き手の「最適な選択」
  /読み手の「可能な戦略」 など(→レジュメ
 全学年

 思い遣り…、とふと口にしてみる。時代錯誤? 何を今更、と思われるだろうか。だが“思い遣り”の射程は殊の外広い。このことばを導きの糸として以下を書き綴ろう。

 現代芸術にムットーニという自動人形師がいる。彼の手付きは鮮やかだ。天使に楽士にアンドロイド、歌姫、ウサギに帽子をかぶったニワトリ男。多数多様な機械仕掛けの自動人形たち。時にムットーニ自身が自動人形たち――それらもまたムットーニと称される――の演奏会に参加し楽器を奏でる。ムットーニ×ムットーニによって織り成される分節化された無限小の物語は、万華鏡のように閉じた世界あるいは御伽噺のような箱庭を思わせる。作品は精巧でいて抒情的でもあり、完成された絵画のように美しい。
  しかしそう表現した途端、紛れ込む一縷の、だが拭い去れない違和感。果たして本当にそれだけなのか。

 自動人形の演じるドラマは世界を分節した一断片であり、確かにその意味では偏在している。だが逆説的にその極小の世界はミクロコスモスとして遍く我々に妥当する原風景の色彩を帯びるのである。そう、写真芸術が一瞬間に被写体を超えて自然の本質までをも閉じ込めるのとまさに同じように。「自動人形は私、アナタかもしれない」のである。

  主体の遍在、代替可能性を喚起する非人称のドラマ。ここでは主観/客観の対立は軽々と乗り越えられる。そして、私/アナタの等価性に気付くとき、“思い遣り”の価値も再認されるだろう。

 国語が苦手な子は、他者を生きる、ことができない。他者の感情・体験・思想を、つまり複数の生を想像しない。言うなれば、世界の中心に自分だけがいる、ということだ。読書量の多寡が問題になるとすればこの観点からだ。
  子どもは母子未分離の融和状態から、鏡に映る鏡像が自己とは別物だと分かる過程を経て、やがてひとつのまとまった全体として自我を引き受けていくという。そしていつか自分と同じように自我を持つものとしての他者の存在に目覚めなければならない。我々の活動する地球も、太陽も、そして銀河さえ決して大宇宙の中心ではなかったのである。今度は自分だけが世界の唯一の特異点ではないという衝撃を受け止めねばならない。特異点もまた遍在しているのだ。

 “思い遣り”とは、他者に思いを馳せること、他者を自分と同じように感性と知性を有するひとつの人格であると尊重できること、即ち他者の立場と自分のそれとを置き換えて考えられる想像力の謂だ。
  X(=他者)になること。これは感情移入ではない。ムットーニの自動人形たちの、全てになること。彼/彼女に、そして私/アナタになってみること。

  先ずは、思い遣りをもって他者のことばに耳をそばだてよう。心を澄まし聴き入ることから国語の学習を始めてみよう。

 

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